die einfache Fahrkarte

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世界のフォトグラファー 
2007年04月27日(金)21:13
 潮崎悦子が、夢を叶えてフォトグラファーになり、あのときニューヨークにいたのではないかという妄想があります。
 フォトグラファーになった悦子は事件で海江田を見て、追いかけてニューヨークまで行ってしまったという妄想です。
 ニューヨークで、彼女は四郎くんを見たのです。

 悦子のカメラが、大人になった海江田をどう写すのか興味があります。
 まだ、世界にたった一人の孤独が彼女には見えるのでしょうか。
 それとも、「私は世界に似ている」と言った海江田は世界中とのつながりを持ったことで孤独から開放されたのでしょうか。

 身元のしっかりした報道陣しか国連へは入れなかったと思うので、彼女がニューヨークにいても海江田が人間の悪意に倒れるところを写すことは出来なかったでしょうけれど、もしかしたら、国連到着前に市民と歩くところ、もしくはもっと前、ヴェラザノ橋あたりでカメラを構えていて、海江田の姿を収めたかもしれません。

 美倉島の人々は事件をどう捉えたのだろうと考えるとき、やはり一番に考えるのは悦子です。本当の四郎くんを知っているのは自分だけだと言った悦子です。
 わがままになりきった海江田を、悦子のカメラがどうあぶりだすのか、見てみたいものです。


20日間で67万アクセス 
2007年04月25日(水)21:23
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/life/education/CO2007042501000008.html

 4月13日にこのmemoで私は、以前からサイトで閲覧できたCFがいまさらニュースになったのは、一般にひろく知らしめるための宣伝ではないかと述べたのですが、上記の記事を見る限りあながち間違ってもいないのではないかと思います。

 この67万が、海自はダメだと思わずに来年を楽しみにするくらいになってくれると良いのですけれどね。


戻ってきました 
2007年04月22日(日)23:30
 今日が別ジャンルのオンリーでして、こちらまで手が回りませんでした。
 無事終了しましたのでぼちぼち萌え萌えしたいと思います。

 そういえば、4月6日の鬼平犯科帳スペシャルを見ながら思ったのですが、南波って一本眉ですね。以前スペシャルではない「一本眉」を観たときはそう思わなかったのですが、今回は「あ、南波だ」と思いました。
 速水の眉が男っぽい顔になるにつれ細くなった気がするのはなぜだろう。普通、逆。


基地見学 
2007年04月15日(日)14:36
grp0415151058.jpg 240×320 27K
 実は横須賀基地に行ったことがありません。神奈川県民なのに。
 近くまでは行きましたし、遠くから艦を眺めたこともありますが、進入したことが無いのです。
 瀬谷通信基地周辺の海軍通りの桜並木は見に行ったことあります。画像は去年のさくら祭りです。迷彩服のゴツイ米兵が駐車場の案内をしていました。今年は横須賀だったらしいですね。
 厚木飛行場なんておかげさまで防音工事までされているのですが航空ショーも見たことないです。轟音だけ聞きますけど。

 しかし、大湊地方総監は見学したことがあります。
 基地も、艦も。中を案内していただき、艦の機能美に惚れたものです。
 カレーはご馳走になりませんでしたが、お土産をなにかいただいた記憶があります。その艦のパンフ(艦名とか装備とか明記されている)を手渡されたのは覚えています。中学生のときなのでうろ覚えですけど。

 大湊地方総監は意外と広いです。今は無いのですが、昔は陸上もありましたので敷地は広く飛行機もありました。サッカーグラウンドもあります。官舎は雪国仕様みたいです。訛りの有無で現地か転勤か丸分かり。

 他の基地のことが分かりませんが、大湊の基地の周囲はレンガ造りの壁でして、道路沿いに続いています。主要道路からちょっと外れて民家多い細い道を進むと海沿いに出まして、フェンス越しに艦が見えます。
 数年前暇だったのでしばらくフェンスの前に車を止めて眺めていたら、門番が近づいてきちゃいました……

 見学は断然、夏をお勧めします。
 冬は、艦もグレーなら海も空もグレーで、吹雪いていると視界が全部灰色になり艦がどこにあるのか見えないほどです。
 ついでに恐山に登って、帰りは船で陸奥湾を渡ると青森駅のすぐ裏に着きますので便利です。


 ええ、私、大湊以外の基地、見学したことありません。


今週のモニは諦めました 
2007年04月15日(日)14:10
 横浜にも近所にも見当たりません。
 悔しい!
 丸の内にあったよ、と友人が教えてくれましたが……1時間半で着くけど……そこまでは。


 草加少佐は本当はどういう助かり方をするはずだったのか気になります。山本長官はたったの2時間しか歴史より長生きできなかったのですから、草加は最初からあの海では死ななかったのだと思います。
 菊池の進言どおりに見殺しにしても、生き延びたのではないでしょうか。
 だから角松にそんなに恩義を感じること無いのよ少佐!


ヘタリア 
2007年04月14日(土)21:37
 ヘタリアを読んでいると、ポーカーサミットが思い出されます。
 ポーカーサミットは、国家の代表という立場を離れて個人で、という流れでしたが、結局はそのお国柄をそれぞれが発揮しまくりました。
 まさに国家の擬人化、というか個人化でした。

 御大のその国に対するイメージがそのまま出ているだけなのかもしれませんが、国民が多数決で選ぶ代表というものは、多くのひとから共感を得た人物であるわけです。
 やはりその国の、その国らしいところを多く持っているのではないでしょうか。
 日本のトップが替わるたびに主張まで変わるのは、日本人のあれもこれもなんとかうまくやり過ごそうということに命を懸けている国民性の表れかと思います。

 そんなわけで、沈艦を読むとヘタリアの二次創作をやりたくなります。もちろん、沈艦世界で。


最近話題の海自CF 
2007年04月13日(金)00:53
 戦隊もので幹部も絶句、とニュースになっていましたが、あれってけっこう前から防衛省のサイトで閲覧できましたよね?
 なぜ、いまさらニュースになったのでしょう。

 私は、せっかく作ったCFをサイトで公開していても反響が薄いので、海自がとんでもないCFを作った、と話題づくりをするためにあえて流したニュースなのではないかと思っています。
 違うかな。
 勘繰り過ぎでしょうか。


 ニュースのニュース性は相対的なもので、たとえば新技術が発明されて「ネイチャー」に載る、なんて新聞記事はたいていの場合その業界ではずいぶん前からみんな知っている、ということが多いです。
 今回は一般に広く知らしめるために、あえて以前の出来事をニュースとして取り上げたのではないかと考えました。いつそういう話が出たのかということは明記されていませんので、十分ありうると思っているのですがどうでしょう。


メイド・イン・ジャパン 
2007年04月07日(土)23:43
 「やまと」が消息不明になったときの、「シーツやマットの遺品はメイド・イン・ジャパンだ。よく捜せ!」、うんうんジャップだからね、と思っていたのですが、「やまと」って米海軍所属「シーバット」なわけですから、メイド・イン・ジャパンはおかしいんじゃないでしょうか。
 それとも日本で補給した場合はメイド・イン・ジャパンなのでしょうか。試験航海は佐世保からですし、日本がかなりお金出してますので物資もみんなメイド・イン・ジャパンということでしょうか。

 米海軍の補給の仕組みが良く分からないので良く分かりません。


カップリングにおける暗黙の了解 
2007年04月03日(火)22:30
 深海を、深町×海原だと思うひとってまずいないと思うんですよ。
 山海を、山岸×海江田だと思うひとも多分いないと思うんですよ。
 海天も、海渡×天津だとたいていは思わないと思うんですよ。

 それってどこで判断しているんだろうなあと考え出すと止まりません。

 接点がひとつでもあればカップリングが成立しなくもないこの世界、天津はシーバット構想の中心ですから、海江田とは接点があったはずなので、天津海江田はおおいにあると断言できます。妄想は出来ませんが。
 深町が政治家になるなら、深海は深町海渡でも深町海原でもどっちもアリです。
 山岸司令は防大時代の海江田の同じ大隊の先輩だったかもしれません。

 でも、そういう解釈は恐らく無いんですよ。
 海天なら海は海原で、海山なら海は海江田なんです。
 微妙な判定になってしまうものが無いんですね。
 連載していたころはジャンルが非常に活発で、もしかしたら海浜の海は海江田か海渡さんか海原かはたまた海原パパか、浜は浜本運輸大臣か浜田国連大使か、などと物議を醸していたのかもしれません。
 しかしだいぶ落ち着いている現在、ジャンルの成熟はコモンセンスを確立させたのです。

 多様な解釈が可能なのに、あるひとつの解に容易にたどり着ける。
 思い込みといえばそれまでですし、判断の基準がどこにあるのか分かりませんが、多くのひとが共通の認識を持つことが出来るというのは素晴らしいです。