die einfache Fahrkarte

hamburger

 いよいよヘリに乗り込んで『やまと』へ向かうというその直前になって、深町が姿を消した。渡瀬も南波も、行き先は聞いていないと言う。
 テレビを見る群衆に混じっても目立っていたあの図体の男が見当たらないというのは、速水の不安をおおいにかきたてた。日本や国連のやり方をこころよく思っていない連中だって多いのだ。ここが国連ビルの中だからといって油断は出来ないはずだった。どうして目を離したのだろう。しばらく陸に繋ぎとめられている間に、危機に対しての用心が鈍ってしまったのだろうか。
 速水は慌て気味の国連職員を待たせ、混雑するフロアを見渡した。焦るばかりで周囲を見渡しても情報がちゃんと入ってきている気がしない。一度止んだはずの雪がまた降り始め、それらがこのビルの中まで入ってきて視界を遮っているような錯覚に陥り、その冷たい感覚は速水の心身をいっそう冷やした。
 あの、沈む『たつなみ』からも力強く姿を現した深町を、こんなところで失うのだとしたら。屋内なのに寒くて仕方が無い。それでも嫌な汗が次々と額から落ちていく。海の中でもないのに息苦しさすら感じた。
「速水」
 聞き間違えるはずも無いその声に振り向くと、やたらと大量のハンバーガーと思しき箱を抱えた深町がいた。
「何しとる」
「……あなたこそ」
 安堵しつつも、勝手な振る舞いに苛立ち、声が少しとげとげしくなるのを速水は自覚した。深町はいつものことだとでも思っているのか気にした様子は無く、その箱を少し掲げて悪びれも無く言った。
「腹が減ってな、こいつを買ってたんだ」
「先ほど召し上がったばかりじゃありませんか。それになんですか、その量は」
 箱に大きく書いてある文字から、5個入りのお徳用であることが分かる。しかも2箱だ。アメリカンサイズ10個なんて、いくら深町でも余すだろう。そしてどうやらハンバーガーだけで飲み物やポテトは買わなかったようだ。
「俺と渡瀬が3個ずつ、お前と南波が2個ずつだ」
「それなら確かに10個ですな」
 簡単な算数だと言うように南波が言った。そういえば整備中の『たつなみ』でも深町はハンバーガーばかり食べていた。確かあまり好んではいなかったはずのハンバーガーを口にすることで、それを国民食としている国を目指す親友を無意識のうちに追っていたのだろうか。重力に従わないように見える深町の髪が、やはり重力からは逃れられないのと同じように、あのひとに惹きつけられて。
 日本では見かけないポップな書体のロゴに渡瀬が興味を示し、他にどんなメニューがあったか深町に質問している。どうやらこちらにしかないチェーン店らしい。のんきな上官と部下の様子に、一人でキリキリしている自分がだんだん馬鹿馬鹿しくなってきて、速水は大げさにため息をついてみせた。
「私はふたつも要りませんよ。アメリカンサイズでしょ、それ」
「残ったら持って行けば良いだろう」
 緊張感の無さそうに見える深町の言動が、部下の動揺を誘わないための気遣いであることを、速水は知っている。そして鈍感なフリをして出鱈目を言う上官を、不承不承を装いながら許してみせるのが自分の役割であることも。そのときその場で一番必要なことだけをするのが深町なのだ。もっとも、深町が空腹なのは事実かもしれないが。
「そうしますか、『やまと』にわれわれの分の食料があるわけ無いですからネ」
 そうは言ったものの、『たつなみ』でのヘドロとオイルとハンバーガーの混じった実に脂っこい臭いが蘇り、想像だけで胸が悪くなってきた。「ああ、これに一服盛ってやればヤロウに仕返しが出来るな」などと不穏なことを言い出した深町の袖を引っ張って牽制し、とりあえずハンバーガーの箱をなんだか嬉しそうな渡瀬に持たせて、それで深町と速水は国連側との最終的な打ち合わせをやっと始めることが出来た。
 その時のハンバーガーは、結局、ヘリの中で深町が一つ食べたきりだった。慌てていたから『やまと』には持って行けなかったし、その後渡瀬と南波が残りをどうしたのか訊く気にもなれなかった。ずうずうしく『やまと』の握り飯を頬張っていた深町は、ハンバーガーのことなんかもうすっかり忘れていたようだったので、あのチェーン店のハンバーガーが美味いのかどうかも、速水は知らないままである。